「平和について、8月に書かないの?」と聞かれたけれど、あえて8月に書かない筆者です。
10月21日日が国際平和デーなので、このタイミングで書きましょう。
でも本当は、8月やこれらの日のほかにも、知っていただきたい日にちがあります。
6月23日 「慰霊の日」 沖縄では公休です。
先の大戦において日本軍と連合国軍の戦闘が3月26日に沖縄本島で始まりました。
沖縄は国内で唯一住民が地上戦に巻き込まれた地。県民の約4分の1の命が失われました。師範学校や旧制中学校(中学校、高等女学校、実業学校)の生徒が日本軍の補助要員として動員され、約半数の10代の命が奪われました。日本軍司令部が陥落した6月23日までの約3ヶ月のあいだ 「鉄の暴風」は続きました。
沖縄にとっての終戦日は、軍の降伏調印式が行われた9月7日です。
(総務省ホームページ「沖縄県における戦災の状況」ウェブサイトを読んでほしいです。)
4月28日 沖縄では「屈辱の日」と呼ばれています。
「沖縄のこと」をなぜ目黒で話してるの?と、もし思われるとすると、答えは「だってまだ、終わってないから」です。
昭和27年(1952年)4月28日、「対日平和条約」発効により、日本国民は主権を回復する一方で、沖縄(を含む北緯29度以内の南西諸島、孀婦岩の南の南方諸島(小笠原群島、西之島及び火山列島を含む。)並びに沖の鳥島及び南鳥島) は米国の統治に差し出されてしまいました。
4月28日は沖縄では「屈辱の日」と呼ばれ、県民が切望した日本国憲法の及ばない島になりました。
(「沖縄県公文書館」ウェブサイトを読んでほしいです。)
1972年 沖縄は、日本に「返還」されました。今、50年以上を経て、なにが変わったでしょうか。
観光で訪れても見えない日常が、未だ沖縄には残っています。
全国で4番目に小さい面積の県に、いまもって全国の70%超の基地・軍用施設は置かれたままに。
小学校、大学に軍機が墜落する惨事、保育園の園庭にドアなど機体の一部が落下、軍関係者の犯罪が絶えませんが、裁くことができません。
昼夜を問わない戦闘演習の轟音、という負担が日常生活のなかに続いています。
そして同じ日本の中で、国民の殆どが、この実情を「知りません」。
これは、47個のうちの35個のランドセル(*)を、体の小さな子に持たせてる状態と言えるのではないでしょうか。
70%の県民が反対の意思を示した辺野古埋め立てを強行するのは、不条理以外の何ものでもなく、行政不服審査法という、私人のための法律を防衛局が乱用していることも、権力による押さえ込みと言えるでしょう。
ランドセルを、もっと持ってね、「重たい」という君の声は聴かないよ、と。
(*国土の0.6%ほどしかない沖縄県に、日本の米軍専用施設・区域の約70.4%が集中しているのに加えて、沖縄県以外にある米軍施設は87%が国有地であるのに対し、沖縄では76%近くが民間か市町村の土地であるという、不均衡を例えたもの。)
平和を願うー 平和の基本
昨年ウクライナ侵攻が起こり、平和の脆さが身近に迫ってきたと思います。
だれもが「世界平和」を願うと思います。
「世界平和のために、私はなにをしたらいいんでしょう」 そう思う人は少なくないでしょう。
これを問われたマザー・テレサは答えました。
「家に帰ってあなたの家族を愛しなさい。」
家族、隣人、を愛することが平和の基本ということ。
目黒の人も、隣人である同じ国民に、沖縄の県民に、心を寄せてほしい。
困っていることがある人に「なにかできることがある?」と声をかけてほしい。 と思います。
目黒区からもできること
世界平和は、国家間の折衝だけで実現するものではないと思います。
個人レベルでは、外国の人と仲良くすること、自治体レベルでは、他国の都市と姉妹都市関係の締結や共催イベントをすることなどがあります。
目黒区は中国と韓国、それぞれの一都市と友好都市関係を結んでいます。
目黒区HPによるとリアル友好イベントが最後に開催されたのは2019年。
コロナの影響があったとはいえ、2022年にオンラインイベントを開催するまで、友好イベントは開催されていなかったようです。
ぜひ今後はより積極的な交流が実現されますよう。
国際平和デー 今年のテーマは 「Actions for peace: Our ambition for the #GlobalGoals」
沖縄・荒崎海岸 ひめゆり学徒隊最後の地
執筆者:鳥屋良枝
神戸出身、海外を経て東京へ。2017年から目黒区民。
企業勤めの傍らあれやこれや走りまわってる、青い目の🐶と20代の👩👩の親。
是非ご意見他、お寄せください。